老 い


“徳島大学医学部呼吸器内科診察室にて”

 「先生、最近は起き上がって着衣するにも息苦しくて、ご飯食べるのも、顔を洗うのも、風呂に入るのも息が上がると言うか、息が弾むと言うか日常生活さえ思うようにできません、歩くのは部屋から部屋への移動でも苦しくて辛いんです。何とかなりませんか?」「貴方の肺は、ガン手術により一部切除されています。それにガンの原因となった肺気腫や間質性肺炎を抱えています。この上今回の発症した非結核性抗酸菌症です。」「ハァ」「ですから貴方が苦しがるのは解ります。半分首を絞められている状態ですから。最近息苦しさがひどくなったのは、この抗酸菌によるものだと思います。この抗酸菌は普段は土の中や水中に生きていますが、健常者には影響ないのですが、貴方のような免疫力の落ちた方には、たまたま空中に飛んでいるのを肺に吸い込んで感染症を引き起こすのです。人から人への感染はありません。この抗酸菌を退治する治療を始めましょう。しかしこの抗酸菌を殺す薬は未だありません、よって結核菌を殺す薬で代用する事になります。」「ハァ」「これから3種類の薬を出しますが、非常に副作用の大きな薬です、時には目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったりする事もあります。この薬、結核にはよく効く事はよくわかっていますが、この抗酸菌への効果はまだハッキリしません。症例によると3ヶ月で治った方もいますし一生飲み続けても治らない方もいます。」「そうなんですか」「それで少しスピードアップするために週2回大学病院へ来てもらってストレプトマイシンの注射をしてください。筋肉注射で少し痛いですが、これは3ヶ月間と期限を決めますので辛抱してください。ただしたとえ抗酸菌症が治癒したとしても、貴方の今の辛さが解消するかどうか解りません、何せ貴方は他にも数々の肺の病を持っているのですから、只貴方はやせていて呼吸器筋が衰えています、これを強くするにはまず運動ですが特に呼吸器筋強化のためのリハビリを行ってください。そうでもしないとすぐ寝たきりになってしまいますよ」。

 

 落胆した。老いを感じた。治るかどうか解らないのならこれから先、夢も希望も無いではないか。義父が寝たきりになりあのタン取りに、のたうち回って苦しんでいる様子が頭をよぎった。私も寝たきりになって気管支切開して人工呼吸器を肺に入れるのはマッピラだ断固断ろうと思った。考えてみると古希を迎える今日まで随分と友を亡くしてきた。その度に「惜しいよねぇ、残念だよねぇ、あんな人柄の良い人があの若さで死ぬなんて」と、それは色鉛筆のようだ。好きな色から失っていく。しかしそれが現実に私にも迫ってきている。生きても後2,3年の命でないかと思う。それを腹心の友である公認会計士に言うと「何気弱な事を言っている、戦えよ、立ち向かえよ、もっと抗らがえよ、病魔に打ち勝つんだという気概を持てよ」「そうだけど」「オレなんかお前よりずっと若い頃からガンにかかり入院と手術を繰り返してきた。それでもお客様には迷惑掛けられないと、ひた隠しにして、自分で身体を鍛え、仕事を続けながらこれを克服してきたんだ。それで今は元気になって現役を続けている」「うん」「何故こんなことを言うか解るか?平均寿命は80歳を超えたと言うが、健康年齢は70.42歳なんだ。そうだ我々の年頃だ。この年の人間の中には難病で苦しんでいる人も沢山いるんだ!そう言う人達は、自分の似た境遇の人に自分を重ねて考えるものなんだ、だからお前は、私はこう立ち向かって克服しましたと、発信していく義務があるんだ。それが彼らの希望の光になるんだ。もがいたって、苦しかったって、打ち勝つぞと強く思ってリハビリでも運動でも懸命にやってみ見ろよ。そうしたら病魔は自然に去っていくんだよ」妻も傷口に塩を塗るかのごとく追い打ちを掛けるように言った「そうよ。先生の言う通りよ、貴方のガンの原因はたばことお酒でしょう。努力して取り返しなさいよ。介護度要支援2になったんだから、毎日椅子にずっと座ってばかりいないで、リハビリに行きなさいよ。少しは歩きなさいよ。免疫力アップのための食事は私が工夫をこらして作っているんだから、貴方は鍛えなさいよ。」と言う。

 

 そりゃそうだけど、この肺が金縛りに遭ったように締め付けるような胸苦しさ、辛さは友達はもちろん妻も専門医でも解らないのだと思う。薬を服用しだしてもう3ヶ月以上になるが改善の様子もない。返って薬の副作用なのか手足に鉛を埋め込んだように重く、脱力感と倦怠感に襲われる。毎日あまりの息苦しさから、紛らわせるため、四六時中安楽椅子に座り、精神安定剤を飲みうつらうつらとボンヤリやり過ごしている。そうしていると過去の嫌な思い出ばかりが頭をよぎる。何と言うか、しょぼいと言うか、運と才に恵まれなかった人生だなと思う。こんな感じで終わるのかなぁと思ったりする。しかし時たま、私の人生にも輝いた時期があったのではないかとも思う。今は痩せてて枯れてて死にそうな顔をしているから誰も信じないと思うが、少年時代は輝くような美男子だった。ために街中の娘達を夢中させた。高校時代は生徒会に立候補したら圧倒的な人気票を得て役員に選ばれた。登校途中の角々には女生徒が待っていて、それはどんどん増えて高校に到着する頃には大人数になっていた。大学時代は東京にいてオリンピックを間近に見た。昭和30年代末期から40年代初頭の東京の発展ぶりは目を見張るものがあった。その後故郷に帰り、仕事に就いて定年までやり遂げた。自宅も建てた。2人の娘も成長させて大学を出し結婚までさせて今ではそれぞれ孫もできている。人としての人生をやり終えた気もする。だからもう自分のしたい事をして残りの人生を暮らそうと思った矢先のこの病だ。しかし日々成長が若さなら日々衰ろえるのが老いなのだ。それなら仕方がない事なのかもしれない。

 

 “老いは誇るべき充実であって、引け目ではない”と言った人がいるが、これからは周りに迷惑を掛けながら生きていかねばならないでのではないかと不安になる。しかし悲観的になってばかりにはいくまい。何とか前向きに病魔に対峙して克服できるよう、できる事からやっていこうと思う。まずは週2回、身体に鞭打って介護支援施設のリハビリに通うか。    

(忠)

 


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