東京オリンピック


東京オリンピック

「これから預金金利は段々と上ってくると思いますよ。」と自宅から2〜3分の某銀行の行員がいう。「そりゃそうでしょう。今定期預金の金利は0.025%ですよ。これ以上下がることはないでしょう。当行はいろいろ金利上乗せのサービスをしていますがね。今が最低と考えると今後上がる一方ですね。土地も上がりますよ。2020年東京五輪があるでしょ。リニアモーターカーの工事だって急ぐでしょう。新幹線も延伸しています。周辺の土地は上がります。これが刺激となって地方へ波及するでしょうし、アベノミクスの成長戦略も効を奏して、投資信託も良い影響を受けるでしょう。ですから是非我が行でニーサ(少額投資非課税制度)口座を申し込んで下さい。良い商品を準備しますよ。」

 肺が悪くなって歩けなくなった。一日中座っていてほとんど動かない。歩いた最長距離が郵便受けまでという日も少なくない。一日の歩数計が300歩も満たないので、最近はポケットに入れた歩数計も見なくなった。そこで銀行に行くのも遠くは無理なので近くの銀行に蓄えを集める事にした。そこで5年後の東京五輪の話を聞き1964年の東京五輪を思い出した。この時私は、東京の私大の2年生だった。開会式は10月10日の土曜日だった。校舎の屋上から式場上空に自衛隊の航空編隊が色鮮やかな煙を吐きながら五輪の輪を描いているのが見えた。東京にいてもチケットの入手は難しく、手に入れたのは東京体育館で開催されている体操競技の予選日の1日だけだった。広い体育館の中では、あちらこちらで各国の選手が演技をしており、日本人選手を捜すのにも骨が折れた。それでも遠藤、小野、鶴田、早田、山下など蒼々たるそうそうたるメンバーの顔がパチンコ玉くらいの大きさで見えた。チェコのチャスラフスカの優美でセクシーな肢体も見えた。この時日本は体操王国で、男子団体で金、個人総合でも遠藤が金、鶴田が銀、その他種目別でも金銀銅のメダルラッシュに沸いた。

 またマラソンもゴールである国立競技場近くの道路まで日本人選手を応援に行った。最初にエチオピアのアベベが見えた。裸足で走っているのかと思っていたが、前回の五輪と違い東京ではちゃんとシューズを履いていた。アベベは圧倒的に強かった。軽い足取りで風のように目の前を走り去った。しばらくして2番目に円谷幸吉選手が苦しそうにやってきた。いかにも根性で走っている感じがした。君原か寺沢がやってくると思っていたので意外だった。期待の君原は8番目だった。円谷選手はトラックのゴール寸前でイギリス選手に抜かれ銅メダルに終わった事を下宿に帰りニュースで知りがっかりしたことを覚えている。

 その4年後、円谷選手は、髭剃り用のカミソリで頸動脈を切って遺書を残して自殺した。その報道を聞き、あの今にも倒れそうな苦しげな表情で走っていた円谷選手を思い起こさせ涙が止まらなかった。

  遺書は、「父上様母上様三日とろろ美味しゅうございました。干し柿も美味しゅうございました。」で始まり「(中略)幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。(中略)幸吉はもうすっかり疲れ切って走れません(以下略)。」それはもう美しくて誠に悲しい響きを持った文面だった。

 東京五輪は、アジアの国で最初に開催された誠に誇り高い祝祭だった。日本が欧米諸国に肩を並べて先進国に再デビューをした証でもあった。東海道新幹線の開業したのは開催直前の10月1日だった。これにより徳島よりの上京時間は大幅に短縮された。大学に入学した年は、東京中が工事中であったのだが、東京オリンピックの開催前のある日、工事中の仮壁が外され、街の上に高速道路が張り巡らせられていて、びっくりした。東京五輪が終わるとそれまで2年間続いた五輪景気がたちまち不況に陥った。証券不況と言われサンウェーブや日本特殊鋼が倒産した。日銀は1%以上公定歩合を下げて、国は戦後初めて赤字国債を発行した。この甲斐あっていざなぎ景気へと移っていった。

  70歳からの貧乏という言葉がある。定年になって年金に頼るがそれでは足りなくて退職金などそれまでの蓄えも、退職して10年もすればそれも底をつき、年金でぎりぎりの生活を強いられる事だという。私もその通りになってきている。年金は毎年目減りするにもかかわらず医療保険など社会福祉費の負担は増えるばかりで生活は次第に苦しくなっている。そりゃ高齢化社会なのだから高齢者が生きていくためには次世代の人に少しでも迷惑がかからないように少しずつ負担していくことは当たり前なのだが、現在はあまりにも格差がついている。あの東京オリンピック以降の一億総中流と言われた頃は私もその一員だったと思うが、あの当時もう少し蓄えたり増やしたりする努力をしていたら、将来の不安は、少しは違っていたかもしれない。今後はしっかり節約しながら、たまに少しだけ贅沢したりしてメリハリのついた暮らしをして残りの人生を過ごしていくよりないと思う。

 しかし残量不明の我が命、5年後の東京五輪まで生き永らえることができるのか、期待と不安の日々を過ごしている。  (忠)

 


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