東京エピソード


東京エピソード

 

 週2回呼吸リハビリ施設に通っている。現在私の声は、猫が鼻風邪を患ったようになっており、声を出すだけでも一苦労なので、人の話の輪には入らず無関心を装うことにしていた。
ある日、酸素ボンベにつなぐチューブを鼻につけている私を見た老婦人が寄ってきて、思いがけない耳寄りな話をした。「私の亭主がね、10年前に亡くなったんだけど、肺の重い病気を患っていて、医者から貴方の主人の命は長くても後1年と宣告されたのよ。それで私はもっと良い医者がいないかと手を尽くして探してたの。ある時、たまたまNHKのラジオ番組で、日本医科大学の木田厚瑞教授が肺の診療相談に応じているのを聞いたのよ。“これだ!”と思って私必死の思いで木田教授に電話をしたの。そしたら気軽く相談に応じてくれて指導してくれたの。その後も電話を何回もしたのよ。そして先生のおっしゃるとおりの治療をしたら段々良くなって、それから9年も生きることができたのよ。その先生、今も肺呼吸の名医として活躍しているそうよ。」

 私はその話に飛びついた。病状が悪化していて、呼吸が苦しく辛い毎日が続いている。藁をも掴む思いだった。ネットで調べたら木田先生は、日本医科大学呼吸ケアクリニック所長となっていた。早速電話をした。そして1ヶ月後の予約で診てくれることになった。ただし1回目は東京の病院の検査を受けて、その検査結果が出てから改めて診察するので、2回上京して貰うことになると言う。障害者となった今、東京などもう行く機会はないと思っていた。この時はまだ2ヶ月足らずの間に3回も上京することになるとは夢にも思っていなかった。

 最初に日本医科大学呼吸器ケアクリニックへ行ったのは、8月の末のことだった。空港とホテルは車椅子サービスを受けてみて、この世は障害者にとって好意的にできてるなと感じた。空港では、徳島でも羽田でも空港職員とJALの職員が玄関先から空港内、航空機の機内まで車いすで運んでくれた。座席は出入り口の一番近い席が用意されていた。機内ではCAの優先的サービスを受けた。ホテルでも名前を告げるとホテルマンがやってきて玄関から部屋まで車椅子を押しくれた。朝食のバイキングでは、料理に近く、しかも出入り口近くの席に案内された。羽田からはタクシーでホテルに向かい、国会議事堂前を通過するとき安保法案反対デモの渋滞に巻き込まれた。折から参院で安保関連法案が審議中で国会前の道路は、両側に警察車両が蟻の隙間もないくらいズラリと並べられ、警護も厳重だったが、集会の参加者が道路にあふれ出ていた。それぞれ“戦争法案反対”“戦争させない”“九条壊すな”などのプラカードを掲げていた。「あのプラカードは参加者に主催者から支給されるのかなぁ。」とつぶやいたら運転手が「なぁに、あれはコンビニで印刷していますよ。」と教えてくれた。政治家や若者がマイクに向かい大音量のスピーカーで演説していた。また右翼や警察、左翼の街宣車が入り乱れこちらも大音響でガナリたてていた。よく観察すると高齢者の夫婦連れも多く、それだけ日本社会が深刻に受け止めているのかなと思われた。車中からそれを見て“時代を眺めた”ような気分になった。

 2回目の上京は9月中旬であった。ホテルから病院に向かうのにホテルマンにタクシーを頼んだら、東京はタクシーを呼んだら高い迎車代がかかりますからと言って、わざわざ道路の真ん中まで行ってタクシーを捕まえて我々を乗せてくれた。タクシーの運転手によると税金の関係で各区によって異なる料金の迎車代がかかるので街なかで拾うのが安いそうだ。また都内から羽田へ行く場合は、予約をすれば定額料金だが、予約をしないで乗ると高額になるとのこと。そういえば羽田から都内のホテルまでは協定があるらしく定額運賃制があったので割引料金だったが、前回都内から羽田空港に向かったら9千円もした。

 木田先生は十分時間をとって問診・視診・触診を念入りに行った。徳島の大病院のパソコンデータに頼る診断とは違うなと思った。そして最後に「徳島の先生と治療方針が違うので、しばらくはこの病院に通院してください。高知県から通っている患者もいますから、徳島からでも可能でしょう。」と言って強引に酸素供給機器も日本医科大学専属の業者に切り替えてしまった。セカンドオピニオンのつもりで診察を受けたのだが、いつの間にか通院することになっていた。良い先生であることは分かる。しかし月1回の東京への通院は今の私にとって、経済的にも体力的にも無理だ。しかし的確な診察だったと感じたので、その場できっぱり断れず曖昧にしたまま帰ってきた。徳島の先生は大学病院から転勤し、若いがしっかりしていて頼りがいがあったので、この先生について私も転院した。しかし木田先生の診察経過を見て、この先生、その強引さに機嫌を損なったみたいだった。「貴方は木田先生のような良い先生に恵まれたのだから、しばらく通院してみたらどうです。」と突き放されるようなことを言われた。しかし車椅子と携帯酸素ボンベを携えて東京へ通うのは、手続きも面倒で介護をしている妻にも負担になる。妻とよく相談した結果、もう一度だけ東京に行き木田先生にこれらの事情を説明して、理解していただくことにした。それで3回目の上京となった。

 3回目の上京は、今度が最後になるのなら、ホテルだけでも贅沢しようと思った。以前テレビドラマで西内まりや主演の『ホテルコンシェルジュ』を観ていた時、このドラマの舞台となったホテル日航東京(現在ホテルヒルトン東京お台場)に1度は泊まりたいなと妻と話していたので、JALパックのランクを上げてこのホテルに泊まることにした。1泊目は病院の近くのホテルにした。このホテルは43階建ての都市型ホテルだった。宿泊客は随分多く、沢山あるエレベーターも順番を待つくらいだったが、その半分以上が外国人客のようだった。部屋からは後楽園遊園地とドームが真下に見えた。

 その夜ホテル内のレストランで夢のような光景に遭遇した。浦島太郎が竜宮城に足を踏み入れた時、こんな気持ちになったのではないかと思った。

 そこはステーキ料理専門店で、我々が料理とワインを注文した直後だった。入口から20数人の世界各国の飛び抜けた美貌を持つ女性の集団が入店してきたのだ。皆出身国のたすきを掛けていて、身体にぴったりとした服をまとっている。顔の美しさもさることながら、身体のシルエットが浮き上がって特に魅力的だ。一様にヒップは形よくキュッと盛り上がっていて、胸や身体の線もとても綺麗だ。唖然としている私は妻に「貴方ヨダレがこぼれそうよ。」と言われて我に返った。手を振るとハワイ代表が席まで来てくれた。我々は日本で開催されるミスインターナショナル世界大会に出場するため日本へ来ている。私はハワイ出身の誰それですと言うような挨拶をしてくれた。サラダと果物やケーキなどのデザートがバイキング方式になっていて、私の席はその傍で、各国の代表が入れ替わりたち変わりしてやってくる。アメリカ代表もカナダ代表もフィンランド代表もフィリピン代表もいる。妻も興奮して、「英会話勉強しとけば良かったわ。」とつぶやきながら、訳の分からない英語で話しかけている。これに対しても各国代表の美女達は、にこやかに応対してくれた。妻は、「みんなフレンドリーね。」と上機嫌だった。そばへ寄ると皆180センチはあろうかと思うような大柄な体躯である上に10センチぐらいのヒールの靴を履いている。これじゃ日本の男性は太刀打ちできないなと思った。 翌日病院で木田先生の診察を受けた。こちらの要望も快く受け入れてくださった。そして改めて猿の干物のような私の顔を見て先生が言った「貴方はまず太ることですな。」続けて「太らなければ筋肉がつきません。それからしっかり運動してください。貴方の肺の苦しさや辛さを直ちに癒す薬はありませんから、筋力をつけて肺の弾力性を取り戻すことです。頑張ってください。それじゃぁお元気で!」と握手をして別れた。「結論は結局これかぁ。」と少し落胆した。

 病院から2泊目のホテルに着いた。テレビドラマと同じお台場のレインボーブリッジが見える素敵なリゾートホテルだった。会うホテルのスタッフごとにに「ドラマを見てました。」と言うと皆一様にうれしそうな顔で「セリフはありませんが私出演していました」と言う。中には「このまま映ってました。覚えありませんか?」と問う。全く記憶になかった。夕食時になって妻をレストランの下見に行かせた。妻はコンシェルジュにホテル内のレストランを案内させたそうだ。「ホテルのお勧めだという日本料理店は、奥へ奥へと案内されて、まるで大奥みたいなの。金箔の鉄製扉があって、それを引きあけて中に入ると、そこには品の良い着物姿の仲居がズラリといて、お値段はお一人様1万6千円からとなっているのよ。どのようなセレブが利用するのかしらね。外には看板も表示もなく、あの扉だけで何のお店か分からないのよ。予約以外は受付ないんでしょうね。」と言っていた。結局我々は料金のリーズナブルな中華料理の方を選んだ。

 翌日、最後の東京を後にした。初めて羽田行きホテルのリムジンバスに乗った。タクシーと違って随分と安価だった。最初からこれを利用したら良かったと思った。

 数日して地元の病院へ行った。担当の医者が言った「なんだ、結論は私と同じじゃないですか、このまま治療を続けましょう」 ・・・・!

                 

                                            

(忠)


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